53.石部宿〜草津宿へ(街道地図)
滋賀県甲賀郡石部町→本陣跡→金山跡→旧和中散本舗跡→手原(12km:3.5時間)

■ 石部宿について ■(2000年5月2日)曇
今回の旅で東海道は終わってしまう・・・ 何時もと違った淋しい気持ちを持っての旅立ちだった。 そして強引に我が儘の総仕上げをするような複雑な感情が交差していた。 ・・こんな仏心が夢から目覚めさせ、 そろそろ現実の世界に引き戻される時がやって来たような気がする。 ・・・・ 石部宿は京都から東へ下る旅人の多くが最初に泊まる宿場である。 広重描く石部は遠くに琵琶湖が見渡せる草津に近い目川の里、 画中の田楽焼豆腐「いせや」はすでに無い。 近くには金山の採掘跡があり、堅実な人のたとえで呼ばれる「石部金吉」は ここから出た。

■ 宿場東〜宿場中心 ■約1km
落合川を渡り吉姫神社を左に見て静かな石部宿(左)へ入る。 狭い道筋に豪奢な屋敷が目立つ。 大きな交差点角に出来たての宿場公園(中)が整備されていた。 その先にも広重53次の絵(右)が掲げられ宿場に入ってきた気分を味わう事が出来る。 東海道歩きにとって、当時を残す古い建物や街道の雰囲気を整備してくれる ことはとても有難い。

■ 本陣跡〜真明寺 ■約1〜2km
石部宿の本陣は明治天皇聖蹟の碑がある場所だ。 建坪775坪、部屋数26の大きな本陣であったが、 今では普通の民家となって傍らに小島本陣跡の石碑(左)が残るのみである。 目の前の民家(中)や本陣隣の家々は昔を残してくれていた。 街道を進み真明寺(右)の先で右折する。 真明寺には芭蕉の句碑「つつじいけてその陰に干鱈さく女」がある。 静かな街道はやがて広くなり、草津線と並行し殺伐とした道となった。

■ 金山跡(灰山)・伊勢落 ■約3〜4km
草津線に沿って進むと左には江戸時代から採石場として壊された無残な山(左)がある。 自然破壊の墓場のようだ。 痛めつけられた東海道はやがて高速道路下(中)を潜り、 伊勢落静かな街道(右)となる。 右は百足退治伝説で有名な三上山(近江富士) 左は荒れ肌剥き出しの山である。 真教寺近くで心休まる風景に出会った。 この風景は芥川龍之介の杜子春が人の幸せを悟った桃源境のように穏やかに生きていた。

■ 六地蔵・旧和中散本舗跡 ■約2km
新善光寺道の石標を過ぎた辺りから東海道六地蔵村○○屋と書かれた古い家が 並んでいる。土色舗装に整備された街道を道なりに進み突き当たりを左に折れる。 右手には六地蔵の門前に地蔵尊の石碑(左) そして右カーブ前方に巨大な家が見えてきた。街道一かも知れない。 これが旧和中散本舗(中) (道中薬を売る商家で、間の宿の茶屋本陣にもなっていた) 街道は新道と並行し右道の小野村(右)に入ってゆく。 路地裏で懐かしい光景を見る事ができた。

■ 手原・足利義尚公鈎の陣所 ■約2〜3km
高速道路下を潜ってすぐ左手に、稲荷神社(左)がある。 境内には東海道名所記に記されている有名な笠松があったようだ。 右に曲がると手原駅、今日の宿は草津、この辺で終わりにしようと迷ったが、 昔の旅人のように歩き疲れた地点で宿泊する安堵の気持ちを味わうことにした。 しばらく歩くと足利義尚公鈎の陣所の石碑(中)があった。 鈎と釣りと間違えて背後の池を覗いてみた。 小さな川を渡りしばらく歩いて金勝川の堤に突き当たる(右)。ここを右折。

■ 目川から草津へ ■約2〜3km
土手の向こうには目川池があるようだがヘトヘトのため登って確認する気力がない。 ここら辺は琵琶湖に近いせいなのか池が多く点在している。 金勝川沿いの細い道(左)は車の通行が激しく、歩行に気を使う。 (写真は車が途切れた時) やがて新幹線のガード(中)を通過した頃から天気予報通り 雷の音がしてきた。急ぎ足で雨雲の草津へ(右)入って行った。
・・・17時半、雨を間一髪で逃れた旅人はホテルの窓から安堵のコーヒータイム・・ (行程3.5時間(計6.5時間)・2000.5/2(火):万歩計=34968)

旅人:浮浪雲
52.水口宿〜石部宿 54.草津宿〜大津宿