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渋谷(しぶや) いくつかの説がありますが、定説はありません。 1.昔、この付近は入江であり、「塩谷の里」と呼ばれていました。その「塩谷(しおや)」が「渋谷(しぶや)」に変わったとする説。 2.平安時代の終わりごろ、このあたりの領主は河崎重家でした。 河崎重家は京都の御所に侵入した賊を捕えました。この賊の名を渋谷権介盛国といいました。そこで、堀川の院は、河崎重家に「渋谷」の姓を与えました。このことから、重家の領地であった谷盛庄が「渋谷」に変わったとする説。 3.この地を流れる川の水が、鉄分を多く含み、赤さび色の「シブ色」だったため「シブヤ川」と呼ばれていたとする説。 4.渋谷川の流域の低地が、しぼんだ谷あいだったからとする説。
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