17.雀宮宿〜宇都宮宿へ(街道地図)
栃木県宇都宮市雀宮町・雀宮神社→自衛隊→菅原神社→一里塚→不動堂→報恩寺(8km:2.5時間)

■ 雀宮宿について ■(2002年12月28日 am7:50〜)晴
♪旅に出ませんか〜と誘われて・汽車の旅ならと〜♪・・朝5時20分、暗闇の中を西馬込駅へスキップ男は向かう。・・・ 東京駅で新幹線に乗り込むと「やまびこ」は座席を北に向けて走り出した。 車窓には眠りから覚めた関東平野が広がった。 ・・・見知らぬ駅に降り立って、見知らぬ街を歩き出す。そんなワクワクする冒険の旅が 今始まろうとしている。 ・・・ 雀宮宿は街道沿いに家屋が細長く続く小さな宿場だった。 雀宮の地名は雀宮神社から由来する。 特産品は大谷石細工、梨の栽培。 ・・・

■ 本陣跡石標〜雀宮神社 ■約1km(08:05)
7:50雀宮駅着、非常に寒い。前回終了した街道沿い、西松屋ベビー用品店前の本陣跡石標 から出発する。 右バス停前に昔のままの脇本陣芦屋家が現存している。 交差点を渡り右に大きな馬頭観音石塔。 すぐ先には雀宮神社がある (995年創祀、藤原実方の妻がこの地で病没。 実方も遠くの地で死亡、霊魂が雀となって飛来し妻の祠に入ったため合祀した) すでに東京から100kを歩いている。

■ 国道4号〜自衛隊北宇都宮 ■約1〜2km(08:30)
単調な4号線を歩くと、やがて国道121号との交差点を通過する。 賑やかな国道をしばらく歩き、 横田新田あたり陸上自衛隊北宇都宮駐屯地を見た。 ・・ (私的メモ:1.普段、万歩計はオムロン・ヤマサ・シチズンを使っているが、全部異なった数値を計測するため、 今回は平均値のシチズン製を使用した。2.前回の旅から半年も経過したのは9月に長年住み慣れた品川区から大田区へ転居という旅人にとっては大きなイベントがあった事による。

■ 寿鶴薬師堂〜菅原神社〜台新田 ■約1〜2km(08:45)
自衛隊入口から400m先左手に祝儀袋のような寿鶴薬師堂が鎮座、すぐ先右手に菅原神社があった。 横川西小学校がある台新田交差点を越えた辺りで S自動車販売店の社長?が社員を集めて年末の挨拶をしていた。 諸君はお金をもらっている以上、耐えて聞かなければならないのだ。 ・・くっくっく俺は自由なのだ!・・ よく見ると社長が訓示を垂れている間、社員も負けずに首を垂れていた。

■ 江曽島一里塚辺り〜JR日光線横断 ■約2km(09:20)
やがて街道はJR宇都宮線に近づき、一里という場所に出る。 ここには江曽島一里塚があったようだが今は、Ichiriya(一里屋)というスーパーが名を残すのみである。 ・・・この先で突然、頭上から犬に吠えられビビル!(2階で犬を飼わないで下さい)・・・ 川田入口交差点を過ぎた辺りで大きなケヤキに遭遇。 (こんな時、日光街道を意識する) 西原交差点を過ぎ眼鏡橋を渡る。下にはJR日光線が走る。

■ 不動堂〜蒲生君平勅旌碑〜新町の大ケヤキ ■約1km(09:40)
街道先の交差点には江戸時代から宇都宮宿に入る目印となっていた不動堂が祀られていた。 (堂内の不動明王は石像で高さ50cm) 左の旧道に入って東武線のガードを潜ると右手に蒲生君平勅旌碑がある(江戸後期の勤皇家。林子平、高山彦九郎と並ぶ寛政の三奇人・君平の偉功を知らせるための碑) 左前方の街中に大きなケヤキが見える。(栃木県指定・天然記念物・樹齢800年・樹高43m)

■ 台陽寺・熟木不動尊・歌の橋 ■約1km(10:00)
信号を渡った左に台陽寺(曹洞宗・1605年創建)、入口には子育て地蔵尊がある。 その先、平成通りを横断して、手作り鳥居が微笑ましい熟木不動尊を見学。(1059年・宇都宮宗円が戦勝祈願して彫った不動尊を祀る) この辺りは歌橋町(この地の人の歌が万葉集に載った事に由来)と呼ばれている。そんな土地柄なのか、街道沿いに「歌の湯」という銭湯があった。

■ 報恩寺〜裁判所前へ ■約1km(10:15)
街道左の路地を入ると茅葺門の報恩寺、 境内には不思議な庭園や戊辰戦争の官軍戦死者を弔った石碑がある。 市街地に入ると古い家屋曲尺手が点在し、宿場の名残りを見せてくれた。 やがて道は突き当たり、宇都宮の裁判所が見えて来る。 ・・10:20:・・今日の栃木県は寒い。男はブルッと身体を震わせ、何かを求めて駆け出した。(行程2.5時間・2002.12/28(土):万歩計=11020)

旅人:浮浪雲
16.石橋宿〜雀宮宿 18.宇都宮宿〜徳次郎宿